私は高校1年の5月にサッカーを辞めた。
サッカーが嫌いになったわけではない。
練習が嫌だったわけでもない。
ただ、自分は見てもらえていないと感じていた。
今の私が「速い選手だけを見たくない」と思う理由は、たぶんこの経験にある。
私は見てもらえていないと思っていた
当時の私は、監督の評価に納得できなかった。
先輩が優遇されているように見えたし、自分は最下層のチームに入れられていた。
もちろん監督には監督の考えがあったと思う。
今となっては、私に見えていなかった部分もあったのかもしれない。
それでも高校1年の私は納得できなかった。
県内でも強豪校との1年生同士の試合で、私はセンターバックとして無失点で抑えたことがあった。
フォワードとして出場した時には得点も決めた。
だから余計に分からなかった。
なぜ自分は見てもらえないのだろう、と。
評価が正しいかどうかではない。
高校1年の私は、
「自分は見てもらえていない」
と感じていたのである。
「いいよ」の一言でサッカーを辞めた
高校1年の5月。
私は退部を決めた。
監督に辞めることを伝えた。
返ってきた言葉は、
「いいよ」
だった。
私は引き止めてほしかったわけではない。
特別扱いしてほしかったわけでもない。
ただ、自分に少しでも期待してくれているのだと思いたかった。
でも、その一言を聞いた時に思った。
「ああ、やっぱりそうなんだ」
と。
私は必要とされていないのだと思った。
それが正しかったのかどうかは分からない。
でも当時の私はそう感じた。
そして、その感覚は今でも覚えている。
後になって言われた言葉
私はその後、陸上競技を始めた。
高校2年で県新人の100m決勝に進出した。
すると後になって、
「チームにいてくれればスピードもフィジカルもあったのになあ」
と言われた。
正直、嬉しくはなかった。
むしろ、
「今さら何を言っているんだ」
と思った。
辞める時には何もなかった。
それなのに後からそんなことを言われても、私の気持ちは変わらなかった。
私は認められたとは思わなかった。
ただ、
「逃した魚は大きかったと言いたいのだろうか」
と思っただけだった。
選手は見られているかどうかを感じ取る
今になって思う。
監督の評価が正しかったのかどうかは分からない。
私が未熟だった部分もあったと思う。
ただ、一つだけ言えることがある。
選手は、
見られているかどうかを驚くほど敏感に感じ取る。
指導者が思っている以上に。
だから私は、
速い選手だけを見たくない。
結果が出ている選手だけを見たくない。
13秒台の選手も見たい。
まだ結果の出ていない選手も見たい。
質問してくる選手も見たい。
なかなか質問できない選手も見たい。
私は、自分が高校1年の時に欲しかった指導者になりたいのである。
指導者が理由で競技を辞めてほしくない
競技人生の中では、うまくいかないことがたくさんある。
結果が出ないこともある。
レギュラーになれないこともある。
それは仕方がない。
しかし、
「自分は見てもらえていない」
と思いながら辞めていく選手は減らしたい。
私はそう思っている。
なぜなら、私自身がそうだったからだ。
もし高校1年の5月の自分に会えるなら、たぶんこう言うと思う。
「いい経験になるよ」
あの時は悔しかった。
でも、あの経験があったから私は今、選手を見る側になった。
そして、速い選手だけを見る指導者にならずに済んだのだと思う。
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