最近ふと思うことがあります。
私は最初、選手と一緒に走る指導者でした。
正確に言うと、自分の練習に選手を付き合わせていました。
当時はまだ現役で競技を続けていましたし、100mも10秒台で走っていました。
今思えば指導というより、
「私の練習をみんなでやっていた」
に近かった気がします。
レスト中に立ち止まれば、
「歩け!」
と言う。
レストの終わりが近づけば、
「少し動いて乳酸抜け!」
と言う。
当時の選手たちからしたら、かなり面倒くさい人だったと思います。
最初はみんな雛鳥だった
今でも1年生には普通に教えます。
なぜなら、考える力がないわけではないからです。
判断するための材料がないだけです。
当時のチームも同じでした。
質問のほとんどは、
「どうすればいいですか?」
でした。
腰の切り替え。
加重。
接地。
今では当たり前のように話していることも、当時の選手たちからしたら意味不明だったと思います。
それでも私は言い続けました。
そして、できた時はかなり褒めました。
正直、鬱陶しかったと思います。
それでも付き合ってくれました。
練習メモが思わぬ方向へ進んだ
選手たちには練習メモを書いてもらっていました。
私はコメントを書いて返していました。
最初はただの振り返りです。
ところが、ある時から様子がおかしくなります。
選手たちが他人のメモやコメントを見始めたのです。
「あの先輩はこう言われていましたよね」
「あいつはこんなこと書いてました」
そんな話をされて初めて知りました。
私は見ろと言ったことはありません。
勝手に見ていました。
今考えるとInstagramだったからできたことだと思います。
ノートなら本人しか見ません。
でもInstagramなら全員が見られる。
1人の経験が、チーム全体の経験になっていました。
気付けば質問が変わっていた
1年目の質問は、
「どうすればいいですか?」
ばかりでした。
ところが気付けば、
「こう思うんですがどうですか?」
に変わっていました。
いつ変わったのかは分かりません。
今の2年生に聞いても、おそらく覚えていないと思います。
でも気付けばそうなっていました。
私は石を置いただけだった
私は文化を作ったつもりはありません。
練習メモを書きました。
動画を撮りました。
コメントを書きました。
例えるなら石を置いただけです。
すると選手たちは、その石を使って勝手に武器を作り始めました。
先輩の経験を参考にする。
同級生の考え方を参考にする。
私の練習メモまで参考にする。
私は材料を置いただけでした。
使い方を考えたのは選手たちです。
補助輪が外れた瞬間
最近は高校生と同じメニューが少ししんどくなってきました。
年齢を感じます。
その結果、一緒に走ることも減りました。
ところが練習の質は落ちませんでした。
むしろ選手たちは勝手に考えるようになっていました。
今では私がたまに練習へ混ざると、
「歩いた方がいいですよ」
と言われます。
昔は私が言っていた言葉です。
少し複雑ですが、悪い気はしません。
補助輪が外れたのだと思います。
今の私の仕事は、引っ張ることではなく、少し背中を押すことなのかもしれません。
気付いたら文化になっていた
正直、今の文化を作ったのは私ではないと思っています。
初年度の選手たちです。
私は石を置いただけでした。
半信半疑だったと思います。
腰だの加重だの接地だの。
面倒なこともたくさん言いました。
それでも付き合ってくれました。
そして自分たちなりに考えました。
工夫しました。
後輩へ残しました。
今の選手たちは、その続きをやっています。
創業メンバーは卒業しました。
それでもドリル祭の雰囲気は変わりません。
私が近付くと、今でも少し緊張した顔で技術練習をしています。
走る時は全然そんなことないのですが。
そして気付けば、
「技術ならあのチーム」
と言っていただくことも増えました。
県内でも有数の技術集団と言っていただくこともあります。
でも、それは私が作ったものではありません。
私は石を置いただけです。
その石を拾い、武器を作り、後輩へ渡していった選手たちがいました。
気付いたら選手たちが文化を作っていました。
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