私は長い間、
「自分は教育をしていない」
と思っていました。
陸上競技の指導はしている。
走り方の話もする。
練習も考える。
しかし、教育をしているつもりはありませんでした。
ところが最近、自分の指導を振り返る機会がありました。
そこで気付いたことがあります。
もしかすると私は、技術指導よりも教育をしていたのかもしれません。
そして今の私は、
教育とは「当たり前を作ること」だと考えています。
教育は感動させることではない
教育という言葉を聞くと、
立派な話をすること。
感動する話をすること。
人生を変えるような言葉を伝えること。
そんなイメージを持つ人もいるかもしれません。
もちろん、それも大切です。
しかし実際には、
一度感動しただけで人は変わりません。
良い話を聞いた翌日には忘れてしまいます。
だから私は、
教育の本質はもっと地味なものだと思っています。
動画を見ることを当たり前にする
私が指導している高校では、
動画を見る文化があります。
練習後に動画を確認する。
レース後に動画を見る。
自分の感覚と映像を比較する。
特別なことではありません。
当たり前のことです。
しかし最初からできたわけではありません。
何度も繰り返し伝え、
先輩が後輩へ伝え、
少しずつ文化になりました。
今では動画を見ることが普通になっています。
考えることを当たり前にする
私は選手に、
「どうだった?」
とよく聞きます。
すると最初は、
「分かりません」
という答えが返ってきます。
当然です。
考える習慣がないからです。
しかし3年間続けると変わります。
自分の課題を整理する。
原因を考える。
改善案を考える。
それが少しずつできるようになります。
才能ではありません。
習慣です。
質問することを当たり前にする
私は質問を歓迎しています。
ただし、
「何が分からないのか」
を整理してから来るように伝えています。
すると選手は、
自分の頭の中を整理するようになります。
質問の前に考える。
考えてから質問する。
この流れが身につきます。
これもまた文化です。
高校生でも3年あれば身につく
私は以前、
こういった能力は一部の優秀な選手だけが持つものだと思っていました。
しかし違いました。
高校生でも身につきます。
動画を見る。
課題を整理する。
仮説を立てる。
質問する。
改善する。
3年間かければ十分習慣化できます。
特別な才能は必要ありません。
必要なのは継続だけです。
指導者の仕事は答えを教えることではない
私は指導者の仕事を、
正解を教えることだと思っていました。
しかし今は少し違います。
指導者の役割は、
気付きを促すことだと思っています。
選手自身が考える。
選手自身が気付く。
選手自身が改善する。
そのための環境を作る。
それが本来の仕事です。
もちろん、遠回りしすぎる場合は答えを提示します。
放任とは違います。
しかし最終的には選手自身が成長しなければ意味がありません。
教育とは当たり前を作ること
教育とは何か。
私はまだ答えを探している途中です。
それでも今の時点で言えることがあります。
教育とは、
感動させることではない。
良い話をすることでもない。
動画を見る。
考える。
質問する。
改善する。
そうした行動を当たり前にすること。
私はそれが教育なのだと思います。
そして振り返ってみると、
私が3年間で作ろうとしていたのは、
速い選手ではなく、
そういう文化だったのかもしれません。
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